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「玉木直子 個展 -見えないもの-」
2019/10/10(木)~12/5(木)
12:00~18:00 木曜日限定 OPEN
水鏡 no.3 / ミクストメディア / 116.7×91㎝
このたびGallery Pepinでは、10/10㈭より「玉木直子 個展 -見えないもの-」を開催致します。
玉木直子は2006年に武蔵野美術大学造形学部油絵学科を卒業後、個展を中心に制作発表を続けています。
ケント紙をアクリル絵具で着色し、型紙に合わせてカットした小さなパーツを貼り合わせて出来上がる抽象作品は、
鑑賞者が目を見張る装飾性のある美しい景色となり、その一方で混沌とした何かを抱かせる闇や穴ともなりえる様相を帯びています。
玉木との会話の中で感じるのは<生きづらさへの視点><心理の深奥を知りたいという欲求><希望>というキーワードです。
小さなパーツを貼り合わせていく行為は、自身を繋ぎ合わせ、強固な自分自身を作ろうとしていて、
鑑賞者を得ること(コミュニケーションを取ること)で、なんらかの希望を見出す手がかりを探しているのかもしれません。
玉木は作品を鑑賞者の鏡であるとたとえ、鑑賞者の感想から彼らの秘密に触れてしまったかのような気持ちになると言います。
大小約10点の作品を展示致します。「見えないもの」と題した展覧会会場にてご自身と向き合う時間を得てはいかがでしょうか。
滋賀県出身
2006 武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業
個展
2006 restructure(ボーダレスアートギャラリーno-ma/滋賀)
2008 a standard(遊工房アートスペース/東京)
2010 an observer in the view(遊工房アートスペース/東京)
2012 ループ・アンダーグラウンド(新宿眼科画廊スペースS/東京)
2017 森、煙、炎、花 (ART TRACE Gallery/東京)
2018 リフレクター(art gallery closet/ 東京)
グループ展
2009 Hweilan International Artists Workshop2009(台湾)
2010 2010 The 5th Exhibition of the 21c International Arts and Culture Exchanging Association(韓国)
2011 日中韓米国際交流展(IANG Gallery/ 韓国)
2016 北参道オルタナティブ(東京)
2019 玉木直子・岡村陽子二人展「 鏡 | 鏡 」 (ART TRACE Gallery/ 東京)
公募展
2015 群馬青年ビエンナーレ2015 入選 (群馬県立近代美術館)
2016 SICF17(スパイラルホール/東京) アーティストインレジデンス
2009 Hweilan International Artists Workshop2009(台湾花蓮市) 他、個展・グループ展多数・・・
ステイトメント
人は鑑賞者として作品と向き合うとき、
作品から目に見えないものについても読み取っていて、
見えないものの確かさを信じる能力をもっている。
私は作品を通して人と関わるとき、そう感じることがある。
しかし一方で、世間を見渡してみると、目に見えるものだけにとらわれているような、
小さな息苦しさを感じる場面も増えたように思う。
見えないものの確かさをどう信じたらいいのかわからないという戸惑いは、
信じていたものが崩れるときの『痛み』をどう取り扱っていいのかわからない、
という心理に近い気がする。 見えるものは『見たいもの』にも置き換えることができる。
信じていたものが崩れたとき、その現実のなかに自分と物事の関係を新たに築き直さなければならない。
そしてその過程には『痛み』がともなう。
一つの作品は『目に見えるものと見えないもの』から成り立っていて、それらを構成する要素は多様だ。
例えば私の作品で説明すると、無数の紙片を切ってそれらを手作業で一枚一枚つなぎ貼り合わせて成立していて、
紙片の重なりが生み出す凸凹とそこから想像できる制作過程、
掠れや滲みといった素材から触れずに感じとれるような身体的な感覚、作家の思想やこれまで影響を受けてきたものなどー、
このように、ただ『生きている』という痕跡が生み出す情報は膨大で雑多で乱雑で乱暴で、とても混沌としている。
それらはこの日々ひたすら大量のイメージを効率良く消費するこの現代社会において、あまり求められているとは言えないだろう。
しかし、いま求められてはいないものは、いま足りていないものがあることを浮かび上がらせている。
見えるものは『見たいもの』に置き換えることができて、 見えないものは『見たくないもの』や『視界に入らないもの』に置き換えることができる。
どれだけ上辺をきれいに整頓しても、どれだけ痛みをともなう経験を排除しても、
この世界の本質がそうでないのなら、そのなかで生きてゆく強さが必要だ。
人が鑑賞者として作品という他者に向き合うとき、 それは嘘偽りのない自身の姿を映し出す鏡のように、時折苦しくもさせるだろう。
しかし、目に見えるものを飛び越えてあなたの存在を問うものと出逢ったとき、あらゆる感情を経て、
最後に見えないものの確かさを信じることが出来たなら、損なわれたものの回復と言えるのではないだろうか。
それは生きてゆくための強さ、『痛みを肯定するという強さ』を手に入れるヒントなのかもしれない。
2019年9月某日 玉木 直子